本校の紹介

 本校は、学制発布3年後の明治8年春に「小学解氷舎」として創設された。後に鈴張国民学校、安佐郡鈴張村立鈴張小学校、安佐町立鈴張小学校を経て、昭和46年5月広島市立鈴張小学校と改称された。ざっと140年の歴史と伝統を持つ学校である。

 鈴張学区は、広島市の北部に位置し、山県郡、安芸高田市に隣接している。広島県内には、先行川(中国山地の隆起量より浸食量が多い川)である江の川により、中国山地の遙か南の標高の低い所で瀬戸内海または日本海に流れ込む河川の分水嶺がいくつかある。ここでは、河川争奪も見られ、先行川と共に地質学上有名である。本校の前を流れる東谷川(鈴張学区内で西谷川と合流して鈴張川になる)も5km上流の明神峠が分水嶺となっている。

 このような地形のため平地が狭く、かっては、林業及び棚田での稲作が主な産業であった。校歌で歌われる堂床山をはじめ、学区内の山々は共有林として整備されている。しかし、現在では、農業や林業を専業とする家はない。

 昭和56年に中国自動車道が開通した。その後、広島自動車道や山陽自動車道が完成し、高速道路網の整備によって交通の便は一段とよくなった。
 児童数は減少し続け、平成2年には全校児童が85名になった。しかし、団地造成に伴い、平成4年から、児童数が激増し、校舎や施設設備の新設増設工事が続いたが、平成10年497名をピークとして児童数は減少に転じている。

 学区の住民は、教育に対して関心が高く、自治会・社会福祉協議会・青少年健全育成協議会・交通安全運動推進隊・交通安全協会・民政児童委員・体育協会・女性会・老人会・消防団等、地域を挙げて本校の教育活動に協力的である。
 本校体育館では、敬老会が毎年行われ、多くの高齢者が一同に会し、楽しい一時を過ごされている。
 これらの行事は、自治会を中心に各種団体が連携し、地域をあげて実施されている。学校も、入学式や卒業式をはじめ各種行事や活動について、地域ぐるみの支援をいただいている。